大阪地方裁判所 昭和36年(わ)4060号 判決 1961年12月23日
本籍 福岡県三瀦郡城島町大字下青木一〇三一番地
住居 大阪市西淀川区姫島町中山方
土工 山本一夫こと 池口恵
昭和四年九月一五日生
右の者に対する強盗傷人、公務執行妨害被告事件について、当裁判所は検察官金山丈一出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
被告人を懲役一年に処する。
未決勾留日数中七〇日を右本刑に算入する。
本件公訴事実中公務執行妨害の点については被告人は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
昭和三六年八月一日午後九時五分頃、大阪市西成区東田町八一番地先路上において発生した自動車交通事故に際し、大阪府西成警察署警察官らのとつた被害者取扱措置を非難して、附近の多数の群集が同町二一番地西成警察署東田町巡査派出所に投石・放火してこれを損壊したうえ、更に同区海道町二五番地西成警察署周辺一帯に集り、同署建物や警備にあたつていた警察官、パトロールカー、消防車などに投石し、通行車輛を横転させて焼打ちしたりする騒動が起つたが、その際被告人は
第一、同月二日午前四時頃、前記西成警察署北側通用門附近路上において、その場に集つていた群集の一人が、右の騒ぎを取材に来ていた毎日新聞社写真部員片山英一郎(当三五年)を見つけて「あれは新聞記者や。やつてしまえ」と叫び、群集の中の四、五人の者が同人を追いかけて行くのを認めるや、同様にその後を追い、大阪市西成区海道町三二番地先海道公園北側路上において、右片山を取り囲み同人を殴打したり蹴つたりしている右の四、五名の者に加わり、同人等と互に意思連絡のうえ共同して、右片山の顔面を殴打し、更に同人がカメラを守るために抱えこんでいる腕を引張つたりして暴行を加え、
第二、右のように右片山の腕を引張つた際、同人が左手首に同人所有のオメガ一三型腕時計一個(時価約八、〇〇〇円相当)をはめているのを認め、これを同手首から外し取つて窃取し
たものである。
(証拠の標目) ≪省略≫
(前科)
被告人は昭和二七年一〇月二四日、福岡地方裁判所小倉支部において、強盗、詐欺、窃盗罪により懲役六年に処せられ、当時右刑の執行を受け終つたものであつて、この事実は検察事務官作成の被告人に対する前科調書および被告人の司法警察員に対する昭和三六年九月二〇日付供述調書によつて明らかである。
(法令の適用)
被告人の判示第一の所為は刑法第二〇八条、第六〇条、罰金等臨時措置法第二条、第三条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、判示第二の所為は刑法第二三五条に該当するところ、被告人には前示の前科があるので、同法第五六条、第五七条により、それぞれ再犯加重をなし、以上は同法第四五条前段の併合罪であるから、同法第四七条、第一〇条により、重い判示第二の罪の刑に同法第一四条の制限内で法定の加重をなした刑期範囲内において被告人を懲役一年に処し、同法第二一条により未決勾留日数中七〇日を右本刑に算入し、訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項但書にしたがい被告人にこれを負担させないこととする。(本件公訴事実中強盗傷人の訴因を判示のとおり認定した理由)
判示第一および第二の事実に対する訴因は、被告人は他数名の者と共謀のうえ昭和三六年八月二日午前四時頃大阪市西成区海道町二五番地西成警察署北側路上において、毎日新聞社写真部員片山英一郎に暴行を加え、その反抗を抑圧して、同人所有のオメガ一三型腕時計一個を強取し、その際同人に加療約一週間を要する傷害を与えたというのであつて、被告人の右所為を強盗傷人罪にあたるものとなしているのであるが、被告人の当公判廷における供述、検察官および司法警察員(昭和三六年九月二〇日付)に対する各供述調書、証人片山英一郎の当公判廷における供述を綜合すると、被告人は昭和三六年八月二日午前四時頃大阪市西成区海道町二五番地西成警察署北側通用門附近に居た際、同所に蝟集していた群集の中から「あれは新聞記者や。やつてしまえ」との声がして、群集の中から四、五名の者が毎日新聞社写真部員片山英一郎を追いかけて行くのを認めたので、その後を追い、同町三二番地海道公園北側路上で四、五名の者が右片山を取り囲んで殴る、蹴るの暴行を加えているところに追いついたので、右の者等に加わり、同人等と意思相通じて共同して右片山の顔面を殴打し、更にその時ともに暴行を加えていた者が「カメラを取つて燃やしてしまえ」と叫んだので、カメラを抱きかかえている右片山の腕を被告人も引張つたところ、その際右片山が左手首にオメガ一三型腕時計一個をはめているのが眼についたので、とつさにこれを盗ろうと考えて時計バンドと手首の間に指を差し入れて右時計を外し取り、直ちにその場から逃走したことが認められる。
右認定の事実に照らせば、被告人が「あれは新聞記者だ。やつてしまえ。」との声を聞いて右片山を追いかけ既に同人を取り囲んで暴行を加えている四、五名の者に追いついてこれに加わり、右の者等と共謀のうえ共同して右片山に暴行を加えたのが、同人から金品を強奪する意思のもとにその反抗を抑圧する手段としてなされたものとは到底認められないのであつて、このことは前記認定の如く被告人が右片山の顔面を殴打するの暴行を加えていた際、ともに暴行を加えていた者が右片山からカメラを取つて燃してしまえと叫んだので、カメラを抱きかかえている右片山の腕を払い除けるため、被告人が同人の腕を引張つた際その左手首に腕時計をはめているのを認めて始めてこれを盗取しようと考えたものであることに照らしても明らかであると言わねばならない。そして被告人は右の如く右片山の腕を引張つた際その左手首に腕時計を認めたので右時計バンドと手首の間に指を差入れて右時計を外し取つたものであることは前記認定のとおりである。そこで被告人の右時計の取得行為が、なお強盗罪として評価されるべきものであるかどうかについて考えて見るのに、凡そ強盗罪は相手方の反抗を抑圧するに足る暴行若しくは脅迫を手段として財物を奪取することによつて成立する罪であるから、暴行脅迫後に初めて財物盗取の犯意を生じた場合にその盗取が強盗罪となるためには、犯人のその後の言動が暴行若しくは脅迫を用いたものと同視すべき評価がなされるに足りるものでなければならないと解されるところ、被告人が右片山から右腕時計を盗取した当時同人は前記暴行によりその反抗を抑圧されている状態にあつたとはいえ、被告人においてその畏怖状態に乗じて財物を奪取するために暴行脅迫を用いたものと評価するに足りる言動がなされたとの証左は存しないから、被告人の右時計の取得行為をもつて強盗罪に問擬することはできない。
なお、証人片山英一郎の当公判廷における供述および医師村上文夫作成の診断書によれば、片山は前記暴行により加療七日間を要する腰部、頭部挫傷、左上膊擦過創の傷害を受けた事実が認められるが、前記認定のとおり被告人が片山のところに追いついた時には同人はすでに四、五名の者から暴行を受けていて、被告人は途中からこれ等の者との共同暴行に加わつたのであるから、右の傷害は被告人が右の者等と共謀関係に入る前に加えられた暴行によつて生じたものか、あるいは被告人が加わつた以後の暴行によつて生じたものか確定できないから、結局被告人の判示暴行によつて傷害が生じたとの証明がないことに帰するので、右傷害につき被告人にその刑責を問うことはできない。
よつて本件公訴事実中強盗傷人の訴因に関する被告人の所為については、判示の如く暴行および窃盗罪が成立するに過ぎないと判定するのが相当である。
(本件公訴事実中公務執行妨害の点に対する判断)
本件公訴事実中公務執行妨害の点の要旨は「被告人は昭和三六年八月二日午前四時頃、大阪市西成区海道町二五番地西成警察署北側通用門前附近の路上において、多数の者と共謀のうえ共同して、同所附近の警備、犯罪の予防、鎮圧等の職務を執行中の巡査部長清水忠夫等の警察官に対して投石し、もつて同警察官等の右職務の執行を妨害したものである」というのである。
よつて検討して見るのに、
被告人の当公判廷における供述、検察官および司法警察員(昭和三六年九月二〇日付)に対する各供述調書、清水忠夫、田中末雄の司法警察員に対する各供述調書、池田覚の司法巡査に対する供述調書を綜合すると、被告人は昭和三六年八月二日午前四時頃、大阪市西成区海道町二五番地西成警察署北側通用門前路上で、同所に蝟集していた群集が右警察署の中に石を投げ込んだりしている騒ぎを見物していたこと、その時同署内にいる負傷者をパトロールカーで病院に運ぶ為に、北側通用門が開かれ、一五人から二〇人位の警察官が右パトロールカーの通路をあける目的で、そこから路上に出て群集の中に突つこみ、これを退散させようとしたこと、被告人はその際逃げ遅れたため警察官に警棒で殴られたのに腹を立て路上に落ちていた石を三個位拾つて右警察官の方に投げつけたこと、その頃まわりにいた群集も警察官に向つて多数投石していたこと、その中には警察官に命中した石もあつたことが認められる。
そこで先ず被告人の投石行為が多数の者との共謀のうえでなされたものかどうかについて考えて見るのに
およそ、共謀共同正犯が成立するためには、共犯者相互間に特定の犯罪を共同して行う意思がなければならない。それは単に各人が同様の犯行を同時に行つているとの認識があるだけでは足りず、各人がそれぞれ他の者の犯行を自己の犯行の一部分として利用し、また自己の犯行を他の者の犯行の一部分として役立たせるところの積極的な意思の連絡の存することが必要である。
本件においてはいわゆる事前の共謀があつたとの何等の証左も存しないので、被告人が石を投げた時に同所に居合せた多数の者との間に共謀関係が生じたか否かが判断されなければならない。そこで考えてみるのに、前記認定のとおり被告人は警察官から警棒で殴られたため、腹立ちまぎれに、三個位の石を拾つて警察官の方に投げつけたのであり、その行動はきわめて突発的なものと認められるのであつて、その投石に至る経過、投石の態様からみれば、たとえ被告人がその場に居合せた他の者も同様に警察官に石を投げつけていることを認識していたとしても、他の者と共同して、即ち他の者と協力し、呼応して、警察官に投石しようとの積極的な意欲までがあつたものとは考えられない。もつとも被告人の検察官および司法警察員(昭和三六年九月二〇日付)に対する各供述調書には投石したときの気持として「それまで警官隊に石を投げていた群集と一緒になつて私も警官をやつてやれと云う気になり」とか、また「群集に味方をして巡査の邪魔をしてやろうと思い」という記載が存するが、これらは前記の投石に至る経過、投石の態様からみて、当時の被告人の真の気持を述べたものかどうかは疑わしくむしろ後になつて考えてみれば群集に味方して投げた結果になるということを述べたにすぎないものとも思われ、未だ全面的に信頼するには足らず、被告人の投石行為が他の多数名と共謀のうえ、共同してなされたものと認めるに足りる証拠は存しないと言わざるを得ない。
次に右認定の如く多数の者との共謀により共同してなされたものではないところの被告人のみの右の如き投石行為が果して公務の執行を妨害する程度の暴行に該るかどうかについて考えて見るのに公務執行妨害罪にいう暴行とは公務員に対する不法な有形力の行使であつて、しかも職務執行の妨害となるべき程度のものでなければならないから、投石による暴行の場合は投げた石が公務員に命中するか、あるいは少なくとも公務員のすぐそばを飛んで行くようなものであることを要すると解されるところ、前記認定のとおり、被告人が一五人から二〇人位の警官隊の方に石を投げたことは認められるけれども、それが果して右警察官等に命中したのか若しくはその直ぐ傍まで飛んで行つたのか不明であつて右投石が職務の執行の妨害となるべき暴行といいうる程度のものであることを認めるに足りる証拠はないものと言わざるを得ないのである。なおその際他の群集の投げた石のために警察官等が職務を執行するにつき妨害を受けたかどうかということは、前記のように被告人と他の投石者との間の共謀関係が認められない以上、被告人の刑責には何等の影響を及ぼすものでないことは言うまでもない。
したがつて本件公務執行妨害の点については、結局その証明がないことに帰するので刑事訴訟法第三三六条に従い無罪を言渡すこととする。
よつて主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 青木英五郎 裁判官 梨岡時之助 裁判官 桜井文夫)